キリスト教の勉強してると

今までほとんど知らなかった聖書の世界。でも看護学校の必須科目で勉強するようになってアメリカ社会を別の角度から見れるようになってきて、キリスト教の知識ってアメリカ人のことを理解するためには必要かもって思えてきた。

ちょっとファンのアメリカ人マラソンランナーをフォローしてるんだけど、彼女、フォロワーからのコメント全部読んでるの。

ランナーが「今日は気分が落ち込んでるの。でも優しい子供とダンナと友達に救われてます」っていうこと書いたのね。

そうしたら、フォロワーが「え、あなた信仰の気持ちが薄いわね。私はいつも神様がいるから神様に救われてるわ。あなたには神様の救いがないってわけ?信じられない。本物のクリスチャンじゃないわ」って書いてきた。

ひ〜。

そうしたら、ランナー即効返事。ちょっとキツイ返事。「私は敬虔なクリスチャンです。そういうことを言われるの気分が悪いし、失礼です。」

うーん、

prodigal Godのところで読んだ、あの上のお兄さんみたいだなーって思っちゃった。こういう会話って両方とも信仰心が無いんじゃない?ってみなされるのでは。。。

ランナーさん、「そうですね、そういう考え方もあるのですね。お気持ちをシェアしてくださってありがとう。神のご加護を!」みたいに言うほうが良かったかもねー。

まあ私はクリスチャンじゃないから、単に客観的に思っただけだけどさー。

大好きなラジオNPRでも哲学の番組があるんだけど、そこで聖書の話がテーマで。前ならまったく素通りしてた内容だけどうんうんなるほどって少し理解できた。こういうメジャーなラジオ局でこういう番組があるところ、キリスト教色の強い社会ってことあらわしてますよね。

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